鏡は生活に密接に繋がっています。
皆さんもまず、起床して洗顔や歯磨きなどの身支度をするのは
概ね鏡の前ではないでしょうか。
また、着替えをする際もそうですし、特に女性の方は化粧をする時には
欠かせないと思います。
服屋さんで試着をする時、歯科医が歯を診る時も、鏡の存在は欠かせません。
鏡の起源は、池や水たまりの水面と言われています。
推測ですが、水を飲む時などに水面に映ったものが自分(自己)と判断する
能力を持つか持たないかで、動物の進化が移っていったのかもしれません。
実際、人間に一番近い動物として知られるチンパンジーは毛繕いをする時
には、鏡やガラスに移った姿で行うそうです。
少し時代が進み、造られた鏡として最初に用いられたのは石版です。
黒曜石など鉱石の表面を磨いて鏡面に仕上げた物が遺跡として発掘
されています。
その後は金属です。青銅などを溶かして鋳型に流しこみ成形し表面を
磨いて作られました。
さらに12世紀になり、ガラスを用いた鏡作りが発明されます。
場所はガラス工芸で世界的に知られるヴェネチアだそうです。
当初は大変技術も困難で、時間もかかるものだったようですが、時代が進み
現在では、ガラスの表面にポリエステルなどのフィルムを貼った簡素に作れる
物までに至っています。
今皆さんがお使いになってるいる物は上記のフィルム製のものが多いと思います。
古来から日本で使われていた鏡は金属製です。
中学校の時に歴史の教科書に出てきた、古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が
魏の王より青銅鏡を送られたという一節を覚えておられるでしょうか。
三角縁神獣鏡 (写真は鏡面部分ではなく裏の彫刻の画像)
この時代ごろから鋳物の技術が伝えられ、日本でも盛んに金属の鏡が
作られていきます。
このような事から『鏡』の文字には、金偏が使われるのです。
「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」
日本書紀で、天照大神は「この鏡を私だと思って大切にしなさい」と記される
ように、とりわけ神道においては鏡は神聖なものとして扱われています。
以前にもこのブログで、三種の神器の項で書いたように、神社には欠かせない
調度品の一つです。
鏡自体の神秘性などから御神体と捉え祀られていたり、様々な意味合い
から鏡は配置されていますが、
鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する言葉
鑑みる(かんがみる)手本と成り得るものとしっかり自分を照らし合わせて
みる。という意味合いもあるのではと思います。
お正月に供えるお餅のことを鏡餅と呼んだり、慶事の印として行われる
酒樽の鏡開きも、鏡が持つ意味合いを込めて云われるようになったのでは
ないでしょうか。
ガラス製のカガミが主流になり、軽くなり利便性が増して、持ち歩くこと
が可能となり、金属製の鏡を見掛ける事はほとんど稀になっています。
本来の姿である鏡は、もう作られることは無くなったのでしょうか。
いいえ、京都には金属(青銅や黄銅)を用いて、この現代においても
鋳物の鏡を一心に磨き続ける職人が存在します。
またこの職人は類い稀なる技術を備えています。
それは「魔鏡」という鏡を作れるのです。
後編にて、その事に触れたいと思います。
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鏡 前編
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