Quantcast
Channel: 有職故実 YUSOKU KOJITSU
Viewing all articles
Browse latest Browse all 43

鏡 後編

$
0
0

魔鏡 なぜこのような名で呼ばれるようなったのでしょう。


もちろん魔鏡は俗称です。 実質的には 『透光鏡』 と呼ぶようです。


一見凹凸も何もない鏡面に光を当て、反射した壁面の射影を見ると画像が

浮かびあがるというもの。


裏面に彫刻が施してあり、その画像が壁面に投影される仕組みです。


表(鏡面)に彫刻があり、それが陰影となって映し出されるなら理屈がつくの

ですが、その裏にある物が浮かぶとなると、首を傾げてしまいます。


現在では、科学的根拠に基づいて、理屈を導き出せますが、300年も前に

なると、その投影を目の当たりにした人は、魔物が映ったのではないかと

思ったのかもしれません。


それでなくても、日本では古来から鏡は神聖なものとして扱われていて

神道、仏教問わず鏡は宗教的意味合いを込められてきました。


その鏡に、天照大御神や阿弥陀如来が浮かび上がるなら、また違った

影響があったのかも知れませんが、この透光鏡が盛んに作られていた

300年ほど前の時代に浮かび上がらせたのは、キリストの姿でした。


歴史上の人物で、教科書でもおなじみの フランシスコ・ザビエル

彼の布教活動で、日本にキリスト教が広まっていきました。


その当時の日本は江戸時代で、徳川家康が国を治めていた時代

1614年に、禁教令というお触れが出ます。


一定の宗教(キリスト教)に対しての信仰を禁ずるというものです。

抑制をかけるに至る理由は様々にあるようでうすが、その布教の

勢いもあってか、それから明治時代の初頭までキリスト教は弾圧

されていきます。


そんな中においても、キリスト教徒は密かに布教を続けます。


所謂、隠れキリシタンと呼ばれるものです。

弾圧下においては、壁に十字架や、キリストの像、絵画はなど

掛けられません。


その偶像が掛けてあることがわかれば、すぐに討伐に会い、家も

焼かれるなどの仕打ちが待っていました。


そこで彼らが目を付けたのが、透光鏡でした。

壁に掛けてある分には、何もない普通の鏡です。

万が一踏み込まれても、お咎めはありません。

日光をその鏡に当て、投射した像に祈りを捧げ、ひっそりと

信仰を深めていったのだと思います。


キリスト教が魔の宗教とまで言われた時代。

透光鏡が浮かび上がらせた像は、その当時は魔物として

扱われたのかもしれません。


弾圧は長い間続き、隠れキリシタンも減少の一途を辿ります。

透光鏡の存在も詳らかになってしまい、隠しきれなくなっていき

重宝されなくなったのかもしれません。



魔鏡 (透光鏡) の技術は遂に途絶えてしまいます。



鋳造された青銅の板を、手で丹念に磨き続け、薄くしていきます。

裏に施された文様の凹凸の極僅かな厚みを手で感じ取り、力加減を

調整して、肉眼ではわからない程の湾曲(しなり)を出していきます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


そこに光を当てると、凸部分と凹部分の圧力が違うため、投射する

壁面に届く光の距離が微妙に異なり、影に濃淡が生まれ像が表れます。


この研磨技術は機械では基本的には不可能で、人の手仕事により

生み出される産物です。


計算では測れない、ごく僅かな力の調整は、人の手の感覚にしか

宿りません。



その技術を継承している次世代の職人が、京都にはいます。

彼の祖父は、山本真治という名工で、人間国宝に認定されています。

1974年に透光鏡 『魔鏡』 復興させた人物なのです。


恐らく甦らせるまでには、気の遠くなるほど試作を繰り返し、何日も

研磨をする日々の蓄積があったと思われます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


その技、経験、苦労全てをを引き継ぎ、今の時代においても

手で銅版を研磨する若い職人がいることは、京都の誇りでもあります。



その彼の作品 魔鏡の放つ光を目の当たりにしてみてください。


AS2 #15 Summer アートを肴に酒を呑む  


Face Book



有職故実   YUSOKU KOJITSU

AS2 #15 Summer Akihisa Yamamoto Makyou Exhibition
















Viewing all articles
Browse latest Browse all 43

Trending Articles