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PR: うそっ、体重が?


蛮絵

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南蛮渡来の絵で蛮絵(ばんえ)

$有職故実  <br /> YUSOKU KOJITSU


鳥獣や草花のモチーフを丸く円紋風にまとめた意匠です。
もともとは、公家の護衛を努めた近衛兵の装束に用いられた意匠で
麻素材の装束に木版で摺り染めを施していました。

ちなみに上の蛮絵の意匠のモチーフは『熊』です。
足元の鋭い爪を見ると、なるほどと思いますが、胴体や顔は熊とは程遠い
感じがしますが、熊なのです。


では、次の蛮絵のモチーフになった動物は何だと思いますか?

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答えは、獅子 つまり『ライオン』です。
鬣(たてがみ)もなければ、足の形状もいい加減にデフォルメされて
いますが、これもれっきとしたライオンです。


この蛮絵、諸説諸々で正確なところは定かではありませんが、
平安時代初期から伝わっているそうです。
このような鳥獣を円形にする意匠のルーツは、ササン朝ペルシャ(西暦200年頃)
の壁画や硬貨、装飾品に大変良く似たものがあり、恐らく西方の蛮国から伝わった
模様ということで、蛮絵と呼ぶようになったという説が有力です。

長い時間を掛け、国から国へ、人から人への気の遠くなる程の伝言ゲームを
世界レベルで行っているわけですから、最初と最後ではかなりのギャップを
生むのかもしれません。 無理もないです。写真などないのです、絵で描いて
あとは口伝えでいくしかありません。言語も違うのに。。。
伝える人の絵の力量も影響します。

どこかでズレてしまったモチーフでいうと、ペルシャ絨毯にもよく似た
事象が見受けられます。

ペルシャ絨毯のトライバルギャッペ(遊牧民の絨毯)というカテゴリー
に入る物で、『ライオンラグ』というものがあります。
主にイラン地方の遊牧民が織った絨毯です。

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もはや、独自の世界観すら感じるデザイン。


これを見てライオンと言う人は、ほとんどいないと思います。
でも彼らにしてみれば、ライオンなのです。

アフリカの人にしてみれば、『お前達、ライオン見たことあんのかっ!』という
言うでしょう。 でも無理もないです。実際のライオンは恐らく見たこともなく
織り上げたのですから。。。

間違いだらけなのに、その土地に根付いて、その土地の伝統として受け継がれて
いく。情報がどこでも手に入る現代では決して起こりうる事はないと思います。
ある意味で貴重だなぁと思い、私も数年前にライオンラグを購入しました。

このような事にインスパイアされ、このほど弊社でも狩衣(かりぎぬ)の装束用
に織物を考案させて頂きました。

モチーフは鸚鵡(オウム)です。オウムはもともとパプアニューギニア原産の
鳥ですが、言葉を喋る霊鳥として、古来から輸入されていたとも言われています。

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輸入されていたお陰もあってか、まだオウムらしいでしょうか。
でも、スズメのほうが近いようにも見えます。

神官装束の狩衣では、この蛮絵を意匠に取り入れるのは
恐らく初めての試みだと思います。


窠霰地紋に向蛮絵鸚鵡(かにあられじもんにむかいばんえのおうむ)
白地に薄縹色(うすはなだいろ)紋

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蘇芳色(すほういろ)地に白紋

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いつもの事ですが。。。 長いブログになってしまいました。
お付き合い有難うございます。


茅の輪

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今年も、もうすぐ折り返しの時期が来ました。

梅雨の季節も終盤になり、これから夏本番を迎える時期に入ります。

日本全国の神社では、夏越の大祓(なごしのおおはらい)という神事が
6月30日に行われます。

大祓は、1年の折り返しの6月30日と、年の瀬の12月31日に行わます。

上半期の穢れ(けがれ)を祓い、あと半分の下半期も、健やかに過ごせるように
心の掃除をするってとこでしょうか。

衣服を毎日洗濯する習慣のない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に
新しい物に替える事で疫病を予防する意味合いもあるかもしれません。

数多くの神社の境内には、大きな茅の輪(ちのわ)が設置され、大祓いの準備
が整っている頃です。

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大祓いの日、この茅の輪を八の字にくぐると、半年間の穢れを祓い、熱い夏を
乗り切れるとされ、多くの参拝者が訪れます。

この茅の輪、茅萱(ちがや)という稲科の多年草で、川縁や至る所に生えている草です。
ごくごく身近にある植物です。

身近にある物なので、日本では様々な用途に使われてきました。

例えば、白川郷を代表とする茅葺の屋根の素材も、この植物が使われています。
花は乾燥させて強壮剤と使い、根は煎じて利尿剤としても使われるそうです。


余談ですが。。。

この茅の輪が設置されるのを見ると、いつもこの映画が頭に浮かびます。

「スターゲイト」というSF映画で、円形状の装置を使い、異空間に移動
出来るというもので、つまりドラえもんも「どこでもドア」のような
装置を使い、繰り広げられるSFファンタジーを思い起こさせます。



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似ていませんか?  

監督は、ドイツ人のローランド.エメリッヒという人で、インディペンスデイなど
数々のSF超大作を手掛けている監督です。

形状もくぐるという所も、よく似ているので。。。。
ひょっとしたら、茅の輪をモデルにしたんじゃないかと、ついつい考えてしまいます。



神社にある茅の輪では、異空間には行けませんが、生まれ変わった自分で
世の中を見れるかもしれませんよ。

この時期を代表する日本の風物詩です。 この機会に是非お近くの神社を
参拝されてみては、如何ですか。


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御手洗祭

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本当は、始まる前にこのブログでご紹介すべきだったのですが、
バタバタとしている間に、お祭りが終わってしまいました。。。。

京都の下鴨神社(正式には賀茂御祖神社 かもみおやじんじゃ)で行われる
御手洗祭(みたらしまつり)をご紹介します。

うなぎの蒲焼きを食べる事で知られる、土用の丑の日に境内にある
御手洗池に足を浸すことで、穢れ(けがれ)を祓い、暑い夏を健やかに
過ごせるとの云われがあります。

現在では、7月26日から29日の4日間参拝することが可能で、
朝の5時から夜の10時まで、この足付け神事を体験することが出来ます。

私のお勧めは、人は多くなってしまうのですが、夜の参拝です。

夜の境内は、何とも幻想的で普段とは違う異空間のように思えます。

$有職故実   YUSOKU KOJITSU

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まず初穂料200円を納めると、ロウソクを手渡してもらえます。
そのロウソクを持って池に向かいます。

池の水は驚くほど冷たくて、蒸し暑い夏の夜には最適です。
大人の膝丈ほど水が張られた池の中を進むと、途中に燭台があります。
その燭台にロウソクお供えし、火を点します。

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ロウソクの火が水面に映る景色も夜のほうが格別です。

私はこの御手洗祭がとても好きです。
神事というと、少し離れた所から見ている感じがしますし、
あまり体験型のものは少ないように思えます。
このお祭りは、足を水に付けて歩くという実体験を味わう事により
より深く記憶に残ります。

私も幼い頃、祖父に毎年連れて行って貰った記憶が今でも鮮明に甦ります。
自分が親となった今では、子供を連れて毎年お参りしています。
私の子供が親になった時にこの体験を思い出して自分の子供を連れて行って
くれればなぁ~と今から淡い希望を抱いております。

池から上がると宮水を頂戴し、体の中まで綺麗にして帰ります。

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ご紹介が遅れてすみません。 勿論このお祭りは毎年行われていますので、
行かれた事がない方は、是非訪れてみて下さい。

追記

みたらし団子の語源は、この御手洗祭に茶屋で出された団子が評判を呼び
その名が付いたそうです。勿論帰りの参道で食べる事も楽しみの一つです。

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West meets East

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偶然の出会いから始まったご縁で、お客さんが来られました。


オランダ アムステルダムからお見えになったご夫婦

マーク・ヤンセンさんと、クリステルさん。


お二人とも、京都が大好きだそうで、長期休暇が取れたら

京都に家を借り、『訪れる』というよりは、『暮らす』というスタイルで

毎年京都に来られています。


ご主人のマークさんは、グラフィックデザイナーで、奥さんのクリステルさんは

IT関連のコンサルティングをされながら、写真家でもあります。


マークさんは、やはりグラフィックのお仕事ということもあり、

日本の文字に大変興味をお持ちです。


一方、クリステルさんは、写真家でいらっしゃるので、京都に限らず

京阪神の色々な所に足しげく通われ、多くの写真を撮影されています。


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色々会話をしているうちに、日本の文化や伝統の話になり

それだったら、うちにおいでよという事で話が進みました。


二人は葵祭や、祇園祭にも行かれてるので、伝統装束を見た経験は

お持ちなのですが、実際触れてみるのは勿論ないでしょうから、

色々、実際の装束や神具をご紹介しました。


出来得る限りの英語を何とか駆使して、装束の決まりごとや

紋柄のルーツ、種類などを説明しました。


知らない文化を得たいという姿勢は、お二人を見ていると感心させられます。

クリステルさんは、日本について深く知りたいという気持ちから、源氏物語を

読まれたり、オランダでも華道を習われているそうです。


ですから、片言の英語で説明しても、理解が深いです。

ひょっとしたら、今の日本人よりも、日本の精神性や伝統文化を理解されて

いるかのようにも思えます。


偶然の出会いから始まったのですが、出会うべくして出会ったかのような気がします。


よく言われますが、『同じ思いや志を持った者は自ずと出会う』を体験したかのような。

偶然とは、必然から生まれるものかもしれません。


この頂いたご縁を大事にして、未だ見ぬ可能性を信じたいと思います。




クリステルさん にご紹介頂いた私の記事  彼女のブログより


マークさん のホームページ





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小野小町?

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先日 弊社が加盟する 京都神祇調度装束共同組合が主催した

勉強会に出席してきました。


平安神宮の記念殿という場所をお借りし、時代祭で使用する装束を

実際に用意して頂き、装束の時代考証について講義を行って頂きました。


講師は、京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝先生にお越頂きました。


専門は考古学の教授をされているのですが、装束に関しても豊富な

知識をお持ちであり、時代祭の装束の新調をする際には必ず携わられる

高名な先生です。


時代祭は、奈良時代から明治時代にかけての装束が復元され

『動く歴史絵巻』と称される、日本の三大祭の一つです。


その数ある装束の中から、今回は奈良時代後期から平安時代初期の

装束の変遷について講義を行って頂きました。


この時代、天平文化から国風文化に変わる時代と言われ、日本の装束

が確立される重要な時代です。


710年に奈良に遷都される平城京、この頃はやはりシルクロード

の影響も大きく、当時の貴族や有力者たちの装束は、唐風言わば中国や

朝鮮半島の衣装がベースとなっていました。


この天平文化(中国、朝鮮半島から受けた文化)のブームは、京都に都を

移した平安時代の初期まで続いたそうです。


そんな時代を代表する有名人として、時代祭にも登場するのが小野小町です。

女流歌人として、または世界三大美女としても名を馳せる人物です。


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実は、この小野小町 謎多き女性だそうです。


まず、『小野小町』の名前も定かではなく、出生など没年も解っていません。

恐らく事実として存在していたのだけれど、逸話として後付で出来上がって

いる人物ということです。


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小野小町の御沓 (くつ)



日本に現存する、小野小町の絵画などは後世に描かれたもので

また、後姿の絵が大半を占めるそうです。


百人一首でも小野小町は、後姿で平安時代を代表する女性の装束

十二単を身にまとった姿が多く見受けられます。


ですが、これは事実とは異なります。


上で紹介した小野小町の写真に違和感を感じた方もおられるかも

しれませんが、生きたとされる時代の膨大な資料を紐解いていくと

この時代には、十二単はまだ確立されていないようで、小野小町の

装束も天平時代の中国や朝鮮半島のテイストが色濃く反映されていた

と推測されます。



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小野小町 朝服一式


猪熊先生を始めとする、各分野のエキスパートが文献などを

精査し、熟考を重ねて時代祭の装束が出来上がっているのだと

実感した一日でした。



時代祭は、10月22日に京都御苑を正午に出発し平安神宮まで

約4,5キロの距離を、約2000人が参加し行われています。













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文庫紙

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着物が収納されたタンスを開けると、『文庫紙』 という包装紙に包まれ

いるのを、皆さんも一度は見たことがあるのではないでしょうか。



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この包装紙を 『文庫紙』 または 『たとう紙』 と言います。



もともと文庫とは、装飾品や髪飾り、茶道具、筆など高価な物を

収納する丈夫な箱のことを指します。


着物も高価なものなので、包む包装紙も文庫紙となぞらえたと

いうことです。



文庫と聞くと、今では書籍の文庫本を連想されると思いますが、

白い紙も昔にしてみれば貴重なもの、それを保護するために表装

を施したので、後に文庫本と呼ぶようになったと言われています。



一方、たとう紙は漢字で書くと 『畳紙』 『多当紙』 と書きます。



畳紙は、お察しの通り、日本の居住環境から起因しており、

着物は畳の上で広げ、着装することから呼ばれるようになったそうです。



多当紙は、昔は大きい紙を手に入れることが非常に困難で、和紙や美濃紙

などを貼り合わせて、着物が入る大きさにしたことから、この名が付いたと

言われています。




私たち装束店にとっても、この文庫紙は欠かせない物なのです。

仕立て上がった装束は必ず文庫紙に包んで納めます。



時に文庫紙は、名刺より力を発揮することもあります。



『50年以上前に、あなたの先々代に装束をお願いした事がある』


と、お電話を頂くことがあります。

装束は傷んでもう無いのだが、うちの屋号の入った文庫紙の切れ端を

残しておいたという事だそうです。



このような事から、私は文庫紙に少々こだわりを持っています。

紙の質や、デザイン、レイアウトなどを吟味しています。



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また何十年後かに、色褪せボロボロになった文庫紙の切れ端を

持って来られる方々のために。



几帳 KICHOU

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私たちが手掛ける調度品の中に、几帳 (きちょう) というものがあります。


言うなれば、布地で出来た衝立のようなものです。

今風に言うと、パーテーションになるのでしょうか。


本来は、白の無地の生地に、紋擦りなどを施したシンプルなものですが、

現代に至っては、様々な布地を使用し、色鮮やかなものや、絢爛豪華な

ものなど、多岐に渡ります。



平安時代 貴族の建物は 『寝殿造り』 という木造で、高床式の住居です。

敷地の正面に、太鼓橋というアーチ型の橋を備えた庭園を配し、その南側に

建物を置くという、ある種の決まりがありました。



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また、建物の中においても、寝殿造りと定義付ける様式があります。

それは、襖や板戸などの建具がないという事です。


建物と外を仕切るための蔀戸 (しとみど) という格子戸はありますが、

内部は、大広間が一面に広がっているだけです。


その大広間で、食事をし、書を認めたり、出掛ける身支度をし、寝床を

設えたりしていたのだと思われます。


これでは、プライベートというものを保つ事が困難です。


そこで、重宝されたのが、几帳という布地の衝立です。


空間を仕切るのに使ったり、几帳の裏で着替えをしたりと

プライベートを保つだけでなく、様々な場面で使われていたようです。


時代を経て、シンプルな物から、匠を凝らした織物などを表生地に

使用するようになり、現代でも受け継がれています。



理由は定かではないのですが、私の会社では、よく几帳のお仕立てを

依頼されることが多いのです。


先日も、初来のお客様がお見えになり、着物の反物を持って来られました。


奥様のお話によると、娘が着るようにと用意された訪問着用の着物だそうですが、

『私は着物は着ないと』 と断言されて、暫くのあいだタンスの肥やしとなっていた

反物だそうです。


やはり、それではという事で、几帳に仕立て替えが出来ないかと相談に来られ

た次第です。


反物を見た瞬間、この柄行は几帳に映えそうだと直感しましたので、

お勧めしました。



まずは、几帳に見合うだけの生地が確保できるか、確認しないといけません。

本来は着物になるべき反物なので、描かれた絵柄がバランス良く、几帳に

合わせられるか、ハサミを入れる前に検討します。


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絵柄だけ優先すると、今度は大きさが足りなくなり、台に掛けられない

という別の問題も出てきます。

その兼ね合いが難しく、悩ませられます。



全体的な色目を考え、組紐を飾り房として使用し出来上がります。



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着物の絵柄の良さもあり、非常に躍動感のある設えになった

のではないかと思います。


着物は着るものですが、1枚の絵画のようにも思えます。

染職に金箔、刺繍まで施された1枚の絵の布。

それを絹の繊維に落とし込み、晴れの舞台に羽織る。


総合芸術だと改めて実感させられます。


奥様の満面の笑みを見て、安心すると共に、使われていなかった

物を甦らせた満足感も、しみじみと感じました。


この几帳を見た娘様が、着物の良さを違う視点で感じて頂き、着物が

着たいとなってくれれば良いのになぁと願いを込めて。。。



皆様も、一度タンスの肥やしとなった着物を出されてみては如何でしょうか。




追記


几帳面という言葉、几帳の表面が丁寧に細かく仕上げられている様から

ついた言葉だそうです。
















辰年の終わりに

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今年もあと僅かとなりました。


手をたたきたくなるような嬉しい事や、思わず目や耳を塞ぎたくなる

悪い出来事など、今年も色々ありましたが、暦は着実に進み

あと10日で、2012年も終わります。


私たちが住む日本では、年号がありますので平成24年も歳の暮れになります。

年号が 『平成』 になり、来年で四半世紀が過ぎることになります。



来年の干支は、巳(み)蛇が巡ってきます。

十二支の六番目の動物です。


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この巳という文字は、蛇が冬眠から目を覚まし、地上にはい出す姿を

表していると言われ 『起こる、始まる』 などの意味があるそうです。


また、蛇は脱皮をすることから 『再生、復活』 の意味もあるそうです。


蛇は低湿地などを好み生息しています。

湿地帯というのは、農作に適していますので、古来から私たち日本人は

蛇を 『豊穣神』 『天候神』 と崇めています。


そういった事から、蛇は信仰の対象とされています。

祭祀(さいし)や、祀る(まつる)などの神道用語で用いられる文字に『巳』

の文字が使われるのも、上記に記したことから起因していると思われます。



年末になると、家の大掃除をして、お正月のおせち料理などの準備にと

慌ただしくなってきます。


私も毎年掃除をしながら、『何もこんな寒い中に頑張ってしなくても』と

思いながら、せっせと拭き掃除をしていますが、

新しい年を清々しく迎え入れる為に、綺麗にせねばと思い直して精を出します。



1年間の穢れ(けがれ)や汚れを落として、真っ新になった自分で翌年に挑む

といった決意の表れでしょうか。 


このように、新しいものを迎え入れるために、まずは今の自分を見直して

直すべき所は正しておくという精神性は、大変良いことだと思いますし、

対峙するものに礼儀を尽くすという事にも繋がります。



外国の方々が、日本人は親切で丁寧だとイメージされるのも、このような

部分が根底にあるからかもしれません。



師走の歳時記も大事にしないといけませんね。

皆様もお忙しいとは存じますが、せめて玄関ぐらいは綺麗にして

新年をお迎えください。

ちなみに、玄関はその家の主がするのが良いと聞きます。



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追記


私ことですが、


今年も様々な出会いや発見がありました。また失敗や後悔も同じくらい

あったようにも思えます。


敬愛する宮司様から、『最近ブログの更新が月1回になってるな』 と

鋭いご指摘を頂戴したこともありました。。。。


来年もこのブログを通して、様々な事柄をお伝え出来ればと思っております。

どうぞ気長にお付き合い頂ければ幸いに存じます。



来年の新しい自分は。。。。 と思いを馳せながら、掃除をボチボチ始めます。


皆様 よいお年を


                                             謹白


                                 吉田装束店  吉田 恒




























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装束再考察 Vol.1

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もう2月も半ばになっていますね。


ブログをおざなりにしていた訳ではないのですが、

今年初めての更新となります。


今年も何卒宜しくお付き合い頂ければ幸いです。


去年は、日本文化についての話題が多かったので

今年は、本業の装束についてのお話をしていきたいと考えています。




狩衣 (かりぎぬ) 


私たち、装束店が年間最も多く縫製する装束です。


狩りの衣と記すだけあって、平安時代に公家が鷹狩などをする際に着用された

言わばスポーツウェアとしての役割を担ってきました。


時代を経て、今では日本全国の神職が、常用着として着用するに至ります。


皆さんが、何かの祈祷に出向かれてお祓いを受ける際には、必ず神職は

この狩衣を着装しています。


勿論、狩衣以外にも沢山の装束はあるのですが、ほとんどの一般神事は

この狩衣で行われます。



形は、単純な物で、アルファベットの 『T』 の字の形をしています。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


身頃と両袖の部分との3ピースで仕立てられています。

これを羽織り、同生地の帯を腰で結わうだけの非常に簡素化された

造りとなっています。


寸法も全て画一化されていて、着る方に合わせて寸法を合わせる事は

基本的にはないのです。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


着装するとこのような姿になります。



これは私の推測でしかないのですが、大振りの袖や後ろ姿をみると、

鳥をイメージした形に思えます。



大空を舞う鳥などに、憧れや畏敬の念を強く抱いていたのかは定かでは

ありませんが、頭の被り物も、烏帽子というほどですから、何かしらの

意識はあったのではないかと思います。

これを着て鷹狩をしていた公家には、鳥に対するオマージュが込められて

いたのかもしれません。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


狩衣の説明をすると、色柄は階級によって変わるのですかと

質問される事が多いです。


装束に種類によっては、厳格に定められた物もありますが

狩衣においては、基本的には自由とされています。


調整する装束店が考案したり、神職の好みなども反映されます。


ただ形が定まっているので、紋柄の配置は自ずと同じになります。

紋柄のモチーフも自然界にあるものを具象化していくのが、基本的な

決まり事として守られています。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


作り手にある種の自由が認められているので、装束司にとっては

手腕を振るうところでもありますし、店としてのオリジナリティが出せる

貴重な装束とも言えます。


季節によって色目を変えたり、神職の威厳を表現したり

地域性やその土地の云われや伝統を表したりと、様々な要素から

狩衣の図案構成のコンセプトを決めていきます。



次回は、柄についての説明をしたいと思います。 (続)



狩衣のその他の画像は、弊社ホームページ でご覧ください。



ご案内 AS2

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一見すると関連のない事柄であっても、後に繋がりがあるんだ

と感じる事が、皆さんにもあるのではないでしょうか。



ある点が対局にある点と結びつき線となり、また線と線が交じり合い

面となって行く。



あるご縁がきっかけで、芸術(アート)を切り口にして、様々な分野の方々と

交流をしていこうというグループに席を置かせて頂くことになりました。



今回は、そのイベントの告知をさせて頂きます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU

AS2 アートを肴に酒を呑む という活動です。



もともと私たちが扱う神殿調度品、御装束も、調整したその時代の

最高の匠を結集したある意味、総合芸術になりえる御品物です。


その関連性は普遍的なもので、これから先の時代にも形を変えて続いて

いくものだと考えます。


この機会に是非皆様にも参加して頂き、各々で繋がりを感じとって

頂ければ幸いに存じます。




今回、私たちがご紹介するのは、亀井麻里さんという京都在住の

若い女性のアーティストです。


彼女は、ハサミ一つで様々な物をカットして作品を作り上げています。


日本人にとって 『切る』 という行為は、非常に深い意味を持つと思います。


昔の話では、侍は自責の念を 『切腹』 という手法で表しました。

また、現在でも力士が土俵を降りる際も 『断髪』 で髷を切り落とします。


切るということは単純な作業かもしれませんが、そこに込められた精神性

は、考える以上に深い所まで行き着くのかもしれません。



そういった事柄を、彼女の作品を通して感じ取って頂けると思います。


AS2 アートを肴に酒を呑む ~AS2 art party~-as2


アートに関心のある方々、
パーティがお好きな方々、
お誘い合わせの上、お気軽にお越し下さい。
今回は会場のご厚意により展示が2日間ございます。
(通常のAS2アートパーティは今回も1日限りで初日に行います。)
詳しくは公式ブログ及び下記の情報をご参照ください。

「切る」行為そのものを今一度深く味わい直しながらご体感頂くとともに、
アーティストや集まった方々と楽しみ語らえる一時です。
ご訪問お待ち致しておりますので、是非ともお越し下さい。

AS2一同




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#14 AS2 Spring Mari Kamei Exhibition
亀井麻里展 切る ー廻り解すー

日時:2013年3月30日(土)12:00~20:00
3月31日(日)12:00~17:00

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★AS2パーティ 3月30日(土)★

12:00-20:00(第一部12:00~15:00/休憩15:00~16:00/第二部16:00~20:00)
アーティスト:亀井麻里 氏
内容:カッティングアート
場所:虚白院(京都市営地下鉄烏丸線鞍馬口駅1番出口より徒歩すぐ)

【 第一部 】12:00~15:00
※パーティフードとドリンクをご用意致しております
12:00(乾杯)、14:00(welcome speech)、15:00(closing speech)
【Interval】15:00~16:00
休憩
【 第二部 】16:00~20:00
17:00(welcome speech)、20:00(closing speech)

入場:
・入場無料
・ただし、お勧めの一品(フードのみ、ドリンク不可)をお持ち寄り頂くか、
アーティストポストカードセット(¥500)を販売致しております。
その売り上げはAS2のアーティスト支援活動基金として活用致します。
また東日本大震災の義援金として塩釜青年会議所へ寄付させて頂きます。

お会いできるのを楽しみにしております。


詳細は、AS2ブログ  にて ご確認お願い致します。






装束再考察 Vol.2

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有職文様 (ゆうそくもんよう)


平安時代にかけて、構築された模様で、主に神官装束、平安公家装束に

用いられる文様です。


私たち装束司は、狩衣装束の織物にこの文様を用いています。



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雲立枠 (くもたてわく)


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青海波 (せいかいは)


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亀甲 (きっこう)


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小葵 (こあおい)



有職文様は他にも数えきれない程あります、ここでは代表的な柄を4つ挙げます。


この柄などは、私たちは主に織物の地模様 (背景になる柄) として利用します。

さらに、この上に丸紋を配して、織物は完成します。



共通して言えることは、幾何学模様であることと、デザインのモチーフにするものは

自然界にあるものを使うところでしょうか。


連続して続くパターンが美しいです。




世界に目を向けると、様々な文様があります。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


上の柄は、一般的にアラベスク文様と呼ばれ、イスラム圏で生まれた

模様です。


生み出された時代も国も文化、思想も違うのですが、見比べてみると

その類似性は非常に興味が湧いてきます。


このアラベスク文様も、幾何学模様で植物の蔓(つる)など自然界のもの

をモチーフにするのが決まりだそうです。



有職文様は日本人が生み出した、日本独自の柄ですが、

やはり、シルクロードの影響が、色濃く反映していることがわかります。



気の遠くなるほどの時間を掛け、大陸を跨ぎ、人から人へ

伝えられた絵画、織物、陶器など装飾品にインスパイアされた柄が

日本人の感性に溶け合い、有職文様は生まれていったのかもしれません。




また、この類似性は、何も昔の柄だけに留まりません。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


有職故実   YUSOKU KOJITSU



上の2つの柄は、フィンランドのMarimekko社のパターンです。

完全な幾何学模様とは言えませんが、同じ柄が連続しているところと

やはり、モチーフが自然界のものが使われています。




有職故実   YUSOKU KOJITSU


有職故実   YUSOKU KOJITSU


この2つのパターンは、ミッドセンチュリーパターンと言われ、1960年代に勃興した

柄です。 当時 『レトロヒューチャー』 と表現され、壁紙やカーテン、ソファーカバーなど

に多く取り入れられ、現在でも人気の柄です。

同じ柄の連続性から醸し出される雰囲気は、有職文様に通じるところが見受けられます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


有職故実   YUSOKU KOJITSU


この2つは、皆さんよくご存じですよね。 持っている方も多いかも。


モノグラムと花柄を使い、配置方法としては先のものと同じです。


この柄は、19世紀に創業家の2代目、ジョルジュ・ヴィトンが考案したそうで、

その当時のパリでは、ジャパニズムという風潮が流行していて、日本の家紋をモデルに

考え出されたとの記述があります。




また、長々と綴ってしまいました。


改めて思う事は、文化や美意識は、時代を飛び越え、流転し続けているんだなぁ

ということです。



今回もお付き合い有難うございました。

次回は、装束に使う丸紋についてお話したいと思います。


























雅楽 ユネスコ無形文化遺産

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雅楽 (ががく)

有職故実   YUSOKU KOJITSU


日本固有の古楽に基づいた神楽に、大陸から入って来た様々な音楽や
舞を融合して生まれた、日本が誇る総合芸術です。


10世紀初頭に完成されたとも云われています。
インドで原型になるものが生まれ、中国、朝鮮半島に渡り日本に到達
したそうです。
現在では、発祥の地インドはもとより、日本を除くどの地域にも残って
いないようです。


古くから皇室の保護のもと伝承されていますので、
宮内庁雅楽部という楽団が組織され、宮中の儀式や、園遊会などで
披露されいます。


宮内庁以外にも、全国には雅楽の楽師団はありますし、大学においても
雅楽部は組織されいます。
また、神職の方も雅楽を演奏されたり、舞をされる方もたくさんおられます。


若い方から、重要無形文化財の名誉を与えられた熟練者まで広く受け継がれ
て今日に至ります。
このように日々研鑽されている方々がいなくなってしまえば、雅楽は世界から
消えてしまうことになります。


雅楽を鑑賞することは、何も宮中の中だけではありません。
宮内庁雅楽部も年に数回、地方公演もされていますし、
神社においても、例大祭などで、その土地の楽師が奉舞される機会は
沢山あります。 


あらゆる要素が組み込まれた雅楽を皆さんも是非鑑賞される事を
お勧めします。


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蘭陵王 (らんりょうおう)


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延喜楽 (えんきらく)


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蘇利古 (そりこ)


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迦陵頻伽 (かりょうびんが)



今日までに伝承されている雅楽は約20種類と言われています。
戦に出向く猛者を讃える舞や先祖の霊に祈りを捧げる舞など
内容も様々で、それぞれに音楽も異なります。


装束も神官装束には見られない金襴、唐織物、刺繍などを多様に用いて
極彩色豊かに仕上げられています。
当時の天竺(インド)や唐(中国)の文化が混在した出で立ちです。


舞により持ち物も多岐にわたり、雑面(ぞうめん)という覆面をしたり
子供の背中に羽を施して舞をしたりと、どれをとっても唯一無二なもの
ばかりです。


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また、雅楽は私たちが普段使っている言葉に溶け込んでいるのです。


たとえば、程よい具合を意味する『塩梅 あんばい』
これは、雅楽器の篳篥(ひちりき)という笛の奏法から来ています。


他にも、コツを掴む、コツが要る この『乞 コツ』
これも笙(しょう)という笛の音で乞という音を出すのが非常に難しい
ところから生まれた言葉です。


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上の写真は、雅楽の打毬楽(だきゅうらく)という舞です。
舞方の手に毬を打つためのスティックのようなものがあります。
これを毬杖(ぎっちょう)と呼びます。
本来、毬杖は右手に携えるのが基本なのですが、これを左手に持って舞を
した人がいたことから、左利きのことを『ぎっちょ』と呼ぶようになったと
云われています。



ちなみに私も、その『ぎっちょ』でございます。




お前のブログはいつも長げぇ~な! とお思いでしょう。



まぁ そんな野暮な事言わずに、お付き合いのほどよろしくお願いします。

野暮。。。。 これもまた雅楽から派生した言葉でした。。。  完






鏡 前編

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鏡は生活に密接に繋がっています。


皆さんもまず、起床して洗顔や歯磨きなどの身支度をするのは
概ね鏡の前ではないでしょうか。

また、着替えをする際もそうですし、特に女性の方は化粧をする時には
欠かせないと思います。

服屋さんで試着をする時、歯科医が歯を診る時も、鏡の存在は欠かせません。



鏡の起源は、池や水たまりの水面と言われています。

推測ですが、水を飲む時などに水面に映ったものが自分(自己)と判断する
能力を持つか持たないかで、動物の進化が移っていったのかもしれません。

実際、人間に一番近い動物として知られるチンパンジーは毛繕いをする時
には、鏡やガラスに移った姿で行うそうです。

少し時代が進み、造られた鏡として最初に用いられたのは石版です。
黒曜石など鉱石の表面を磨いて鏡面に仕上げた物が遺跡として発掘
されています。

その後は金属です。青銅などを溶かして鋳型に流しこみ成形し表面を
磨いて作られました。

さらに12世紀になり、ガラスを用いた鏡作りが発明されます。
場所はガラス工芸で世界的に知られるヴェネチアだそうです。

当初は大変技術も困難で、時間もかかるものだったようですが、時代が進み
現在では、ガラスの表面にポリエステルなどのフィルムを貼った簡素に作れる
物までに至っています。

今皆さんがお使いになってるいる物は上記のフィルム製のものが多いと思います。

古来から日本で使われていた鏡は金属製です。

中学校の時に歴史の教科書に出てきた、古墳時代、邪馬台国の女王卑弥呼が
魏の王より青銅鏡を送られたという一節を覚えておられるでしょうか。

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三角縁神獣鏡 (写真は鏡面部分ではなく裏の彫刻の画像)

この時代ごろから鋳物の技術が伝えられ、日本でも盛んに金属の鏡が
作られていきます。

このような事から『鏡』の文字には、金偏が使われるのです。


「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
 与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」

日本書紀で、天照大神は「この鏡を私だと思って大切にしなさい」と記される
ように、とりわけ神道においては鏡は神聖なものとして扱われています。

以前にもこのブログで、三種の神器の項で書いたように、神社には欠かせない
調度品の一つです。

鏡自体の神秘性などから御神体と捉え祀られていたり、様々な意味合い
から鏡は配置されていますが、
鏡は鑑とも書き、このときは人間としての模範・規範を意味する言葉
鑑みる(かんがみる)手本と成り得るものとしっかり自分を照らし合わせて
みる。という意味合いもあるのではと思います。

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お正月に供えるお餅のことを鏡餅と呼んだり、慶事の印として行われる
酒樽の鏡開きも、鏡が持つ意味合いを込めて云われるようになったのでは
ないでしょうか。




ガラス製のカガミが主流になり、軽くなり利便性が増して、持ち歩くこと
が可能となり、金属製の鏡を見掛ける事はほとんど稀になっています。


本来の姿である鏡は、もう作られることは無くなったのでしょうか。


いいえ、京都には金属(青銅や黄銅)を用いて、この現代においても
鋳物の鏡を一心に磨き続ける職人が存在します。

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またこの職人は類い稀なる技術を備えています。

それは「魔鏡」という鏡を作れるのです。

後編にて、その事に触れたいと思います。







鏡 後編

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魔鏡 なぜこのような名で呼ばれるようなったのでしょう。


もちろん魔鏡は俗称です。 実質的には 『透光鏡』 と呼ぶようです。


一見凹凸も何もない鏡面に光を当て、反射した壁面の射影を見ると画像が

浮かびあがるというもの。


裏面に彫刻が施してあり、その画像が壁面に投影される仕組みです。


表(鏡面)に彫刻があり、それが陰影となって映し出されるなら理屈がつくの

ですが、その裏にある物が浮かぶとなると、首を傾げてしまいます。


現在では、科学的根拠に基づいて、理屈を導き出せますが、300年も前に

なると、その投影を目の当たりにした人は、魔物が映ったのではないかと

思ったのかもしれません。


それでなくても、日本では古来から鏡は神聖なものとして扱われていて

神道、仏教問わず鏡は宗教的意味合いを込められてきました。


その鏡に、天照大御神や阿弥陀如来が浮かび上がるなら、また違った

影響があったのかも知れませんが、この透光鏡が盛んに作られていた

300年ほど前の時代に浮かび上がらせたのは、キリストの姿でした。


歴史上の人物で、教科書でもおなじみの フランシスコ・ザビエル

彼の布教活動で、日本にキリスト教が広まっていきました。


その当時の日本は江戸時代で、徳川家康が国を治めていた時代

1614年に、禁教令というお触れが出ます。


一定の宗教(キリスト教)に対しての信仰を禁ずるというものです。

抑制をかけるに至る理由は様々にあるようでうすが、その布教の

勢いもあってか、それから明治時代の初頭までキリスト教は弾圧

されていきます。


そんな中においても、キリスト教徒は密かに布教を続けます。


所謂、隠れキリシタンと呼ばれるものです。

弾圧下においては、壁に十字架や、キリストの像、絵画はなど

掛けられません。


その偶像が掛けてあることがわかれば、すぐに討伐に会い、家も

焼かれるなどの仕打ちが待っていました。


そこで彼らが目を付けたのが、透光鏡でした。

壁に掛けてある分には、何もない普通の鏡です。

万が一踏み込まれても、お咎めはありません。

日光をその鏡に当て、投射した像に祈りを捧げ、ひっそりと

信仰を深めていったのだと思います。


キリスト教が魔の宗教とまで言われた時代。

透光鏡が浮かび上がらせた像は、その当時は魔物として

扱われたのかもしれません。


弾圧は長い間続き、隠れキリシタンも減少の一途を辿ります。

透光鏡の存在も詳らかになってしまい、隠しきれなくなっていき

重宝されなくなったのかもしれません。



魔鏡 (透光鏡) の技術は遂に途絶えてしまいます。



鋳造された青銅の板を、手で丹念に磨き続け、薄くしていきます。

裏に施された文様の凹凸の極僅かな厚みを手で感じ取り、力加減を

調整して、肉眼ではわからない程の湾曲(しなり)を出していきます。



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そこに光を当てると、凸部分と凹部分の圧力が違うため、投射する

壁面に届く光の距離が微妙に異なり、影に濃淡が生まれ像が表れます。


この研磨技術は機械では基本的には不可能で、人の手仕事により

生み出される産物です。


計算では測れない、ごく僅かな力の調整は、人の手の感覚にしか

宿りません。



その技術を継承している次世代の職人が、京都にはいます。

彼の祖父は、山本真治という名工で、人間国宝に認定されています。

1974年に透光鏡 『魔鏡』 復興させた人物なのです。


恐らく甦らせるまでには、気の遠くなるほど試作を繰り返し、何日も

研磨をする日々の蓄積があったと思われます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU


その技、経験、苦労全てをを引き継ぎ、今の時代においても

手で銅版を研磨する若い職人がいることは、京都の誇りでもあります。



その彼の作品 魔鏡の放つ光を目の当たりにしてみてください。


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