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Channel: 有職故実 YUSOKU KOJITSU
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小野小町?

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先日 弊社が加盟する 京都神祇調度装束共同組合が主催した

勉強会に出席してきました。


平安神宮の記念殿という場所をお借りし、時代祭で使用する装束を

実際に用意して頂き、装束の時代考証について講義を行って頂きました。


講師は、京都橘大学名誉教授の猪熊兼勝先生にお越頂きました。


専門は考古学の教授をされているのですが、装束に関しても豊富な

知識をお持ちであり、時代祭の装束の新調をする際には必ず携わられる

高名な先生です。


時代祭は、奈良時代から明治時代にかけての装束が復元され

『動く歴史絵巻』と称される、日本の三大祭の一つです。


その数ある装束の中から、今回は奈良時代後期から平安時代初期の

装束の変遷について講義を行って頂きました。


この時代、天平文化から国風文化に変わる時代と言われ、日本の装束

が確立される重要な時代です。


710年に奈良に遷都される平城京、この頃はやはりシルクロード

の影響も大きく、当時の貴族や有力者たちの装束は、唐風言わば中国や

朝鮮半島の衣装がベースとなっていました。


この天平文化(中国、朝鮮半島から受けた文化)のブームは、京都に都を

移した平安時代の初期まで続いたそうです。


そんな時代を代表する有名人として、時代祭にも登場するのが小野小町です。

女流歌人として、または世界三大美女としても名を馳せる人物です。


有職故実   YUSOKU KOJITSU

実は、この小野小町 謎多き女性だそうです。


まず、『小野小町』の名前も定かではなく、出生など没年も解っていません。

恐らく事実として存在していたのだけれど、逸話として後付で出来上がって

いる人物ということです。


有職故実   YUSOKU KOJITSU

小野小町の御沓 (くつ)



日本に現存する、小野小町の絵画などは後世に描かれたもので

また、後姿の絵が大半を占めるそうです。


百人一首でも小野小町は、後姿で平安時代を代表する女性の装束

十二単を身にまとった姿が多く見受けられます。


ですが、これは事実とは異なります。


上で紹介した小野小町の写真に違和感を感じた方もおられるかも

しれませんが、生きたとされる時代の膨大な資料を紐解いていくと

この時代には、十二単はまだ確立されていないようで、小野小町の

装束も天平時代の中国や朝鮮半島のテイストが色濃く反映されていた

と推測されます。



有職故実   YUSOKU KOJITSU
小野小町 朝服一式


猪熊先生を始めとする、各分野のエキスパートが文献などを

精査し、熟考を重ねて時代祭の装束が出来上がっているのだと

実感した一日でした。



時代祭は、10月22日に京都御苑を正午に出発し平安神宮まで

約4,5キロの距離を、約2000人が参加し行われています。













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