今年は 『遷宮』 という言葉を皆さんも、よく耳にされることが多いと思います。
それもそのはず、5月には島根の出雲大社、今月は伊勢の神宮と日本を代表する
神社が遷宮を迎えた年でもあります。
ニュース等でも広く伝えられ、テレビ画面でその様子をご覧になられた方も多いの
ではないでしょうか。
この遷宮行事は、何も神宮や大きい神社だけで行われるものではないのです。
どこの神社であっても行われる大切な神事です。
鎮座される本殿を定期的に見直し、修繕や造替を行い、常に元ある形を保ち続ける
ために行われます。
神道では 『常若 とこわか』 という言葉があります。
変わらない姿であり続けようとする思いは根源的なものだという事。
日本には四季があり、雪解けが始まる春には田畑を耕し、種を撒きます。
夏に作物は日差しを浴びて生育し、秋になるとそれを収穫し貯えます。
そして厳しい冬を乗り越え、また春を迎え、次なる種を植えます。
当たり前のことですが、これを連綿と続けてきて今(現在)があるのです。
日常と言ってしまえば、簡単ですが、『平凡は非凡なり』という諺があるように
当たり前の事を続けていくことは、実は非常に困難も伴うということかもしれません。
最近は自然災害の規模も過去に比べると大きいものになっているように思えますし、
社会も多様化し、複雑になってきています。
元ある形を保つこと (常若) が如何に穏やかな状態であるかを示すうえで
遷宮は、この現代において大変意義深い行事だということを学びます。
伊勢の遷宮が間近だと話題に挙がる中、私は奈良県にある神社の遷宮の仕事に
取り組んでおりました。
隣には大仏で有名な東大寺、奈良県庁社もあり奈良市の中心地に位置し
小さいお宮ですが、創建1217年と歴史ある神社の遷宮の造替に携わりました。
本殿の桧皮葺の屋根張替、本殿内神の調度品の新調が施されました。
この神社は代々弊社御用達として、出入りさせて頂いております。
前回の遷宮は、先代(父)が携わり、その前は先々代(祖父)と経ております。
本来、本殿内は御祭神が鎮座されているので、扉を閉じてあります。
この遷宮という特別な時期だけ開帳するのです。
1年前に、仮遷宮(げせんぐう)という、御祭神を仮殿にお移して、その間に
内装調度品を搬出して、徹底的に復元する作業を行います。
つまり、元ある形を維持する 『常若』 を行います。
40年前、20年前には当たり前に出来た仕事が、現在では出来なくなりつつ
ある状況での造替は大変苦労を強いられました。
後継者不足は懸念として常に頭にはあったのですが、今回の仕事で痛感させ
られました。また納められている調度品は、造られた時代背景や地域性も併せ
もつ物で、画一化したものはありません。ある程度の資料はありますが、扉を開け
て、私が初めて扱う調度品も沢山ありました。
途中、幾度となく壁にぶつかり、見直しを迫られました。
それでも何とか期日に間に合い、無事納品出来る運びとなりました。
恐らく、先代たちも同じような経験をしたと思います。
父も同じような事で悩んでいたのかなぁと思いを馳せることもあり、
普段はあまりないのですが、亡き父の面影を思い出す時間も持てました。
遷宮とは、何も物だけではなく、人の心も改めるものだと気付かされました。
形や心を次の世代に新しくして伝えることを世界に類を見ない形で引き継ぐ
事に、非常に感慨深いものがる。
と伊勢神宮の鷹司大宮司もお言葉を挙げられています。
今回の遷宮は終わりました。私自身は非常に長く感じましたが、
連綿と続く時間軸の中では、ほんの一コマでしかなく、春で言えば
種を撒いた事と同じ、また夏、秋、冬と続き、そして春を迎える連続
のなかでの事。
日本人が大切にしていきたい心の表れを形にして残していく
仕事に身を置くことが出来て有り難い気持ちになりました。